信夫山おもしろ話 Chapter.7 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その31 ~ その35
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その31 不思議な一字一経石
 信夫山には、不思議なものがたくさんありますが、一字一経石もその一つです。
 旧参道の急坂、御神坂(おみさか)を登ると、ぱあっと視界が開け、鳥居平に出ます。羽黒神社の赤鳥居が出迎えてくれ、手前の右手には八幡神社、左手には念仏橋の碑があります。信夫山では珍しい平地で、温かい日だまりの別天地、といった雰囲気の場所ですね。
 驚いたのは、八幡神社の向かいを何げなく眺めた時です。道に捨てられている小石に、なにやら文字のようなものを見つけたのです。拾ってみると、まぎれもなく古色蒼然とした墨色で、一字ずつ経文が書いてありました。  

 気をつけてみると、あちこちに同じような小石が散らばっています。後で聞くところによると、そこは昔の十王堂の跡で、いわゆる一字一経石がそれでした。
 山伏修験の僧侶が、修行のために書いたもので、次第に信仰に厚い参拝者にも広まり、祈りを込めて奉納されたといいます。
 八幡神社の屋根には、戦時、息子の出征無事を祈った、母親たちの一字一経石がたくさん乗っていたそうです。
 一字一経石は、羽山の月山駐車場の下にある、座禅石の周辺にもたくさんありましたが、今は見ることがまれになりました。見つけたら、超ラッキーなお守りになりますよ。

H28.04.02発行 リビング福島に掲載

その32 信夫山のお産
 信夫山は神聖な山だったので、西の羽山は女人禁制であり、部落でもお産をする場所が限定されていました。
 タンタラ清水の下に「産居(さんきょ)」という産小屋があって、産婦はそこで別火(べっか)をして、お産をしたのです。別火とは、食時の煮炊きの火を別にすることで、明治の前まで続いたそうです。
 臨月を迎えた産婦は、土間に灰をまいた上にむしろを敷き、そこに腰掛けます。21把のわら束を背中に置き、1日に1把ずつ取って、21日過ぎないと平らに寝ることは許されません。悪い血が落ちるからという理由でした。  

 ある日、産居でお産をした女性が寝ていると、たまたま付き添いの人が居ない時に、狼(オオカミ)がやって来て、母子共々かみ殺されてしまいました。そこで薬王寺のだいこく(奥さま)にお願いし産居を作ってもらい、部落でお産ができるようになったのです。
 それでも産婦は、日に当たることも、羽黒山の参道を横切ることも許されず、どうしても外にでる時は、手ぬぐいをかぶっていたそうです。
 また、火を大事にしているので、絶対に火を絶やしてはいけない、産後、身体が治っていないので75日過ぎるまでは生柿とカボチャは食べてはいけない、家族とは100日過ぎたらやっと暮らせるという、厳しい習わしだったのです。
 

H28.04.09発行 リビング福島に掲載

その33 鶏頭森(けいとうもり)のびっき石
 今回は、びっき石(蛙石・ひきがえるの意)を紹介しましょう。
 福島県文化センターの東上、東陵高校の上に鶏頭森という峰があります。その頂上に、大きな蛙の形をした不思議な自然石があります。誰かが作ったものではなく、自然に蛙形になった石です。
 いつの頃からか目が刻まれていて、その背後には明治11年7月に「雷神碑」が建立。鶏頭森は鎮守水雲神社の奥之院ともいわれる、雨乞いの山だったのです。
 昔、信夫山の周囲は一面の田んぼで、御山新井村の人々は水にとても苦労しており、雨が降らない日が続くと雨乞いをしていたそうです。「第三小学校郷土誌」には、わらで龍を作り、雨乞いをしたと言う記事も残っています。   

 びっき石は、力強く前足を張り、雨を呼ぶ姿がとても頼もしく、願いを込めた村人は、蛙石に集い、雨乞いをしていたのです。
 信夫山には「四十八石」と名付けられた、信仰の奇岩があちこちに存在しますが、不思議なことに、びっき石はその中に含まれていません。
 現在は、前足の一部が破損していますが、勇敢な姿で信夫山に鎮座しています。一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。びっき石も、信仰の深い信夫山ならではの伝説の一つですね。

H28.04.16発行 リビング福島に掲載

その34 人気になった信夫山ねこ稲荷
 今、空前の猫ブーム!そこで、話題になっているのが「信夫山ねこ稲荷」です。信夫山で猫の幸せ祈願ができると大人気に。昨年9月の「猫のしあわせ祈願祭」には県外からもたくさんの猫ファンが訪れました。
 そもそもなぜ、ねこ稲荷なのかということですが、そこが伝説の信夫山のすごいところで、正当な理由があるのです。
 昔々、「信夫の三狐」といわれる狐(きつね)がいました。中でも一番人化かしの上手な、「御坊狐」が信夫山に住んでいて、人を化かしては喜んでいました。その化けの皮をはがしてやろうとした馬方が、娘に化けた御坊狐に、逆にだまされて馬ふんを食わされたなど、面白い話がたくさん残っています。  

 さて、一方で人のいいところもある御坊狐は、ずる賢い鴨左衛門狐にだまされて、自慢の尻尾を失ってしまいました。そこで、御山の御房さまに諭されて蚕(かいこ)を守る稲荷となったのです。当時、信夫山は養蚕が盛んで、蚕を食い荒らすネズミを退治する御坊狐は、部落でとても大切にされたのでした。
 そこで、いつのまにか「ねこ稲荷」と呼ばれるようになり、猫を愛する人たちがたくさんに参拝するようになったのです。
 いまでは、立派な赤鳥居が立ち、猫ファンが愛する猫の写真を奉納に訪れています。
 
※「その4 信夫山の「ねこ稲荷」のいわれ」も読んでみてください。
 

H28.04.23発行 リビング福島に掲載

その35 信夫山の名前の由来
 「信夫山」の名前の由来はさまざまで、天保12年(1841年)に志田正徳が書いた記録書「信達一統志」によると、信夫山に生えていた草でも木でもない植物・篠(しの)を、「始・篠生=はじめしのしょうずる」、としたことから、篠生(しのぶ)と呼んだ説が書いてあります。
 また、信夫山に生えていた、特有の忍草(しのぶ草)からきたという説も。さらに、学術語のアイヌ語源説もあり、SHI-NUP=シヌプからシノブに転化したとも言われています。シとは大きい、ヌプは平原、そして、NUPURI=ヌプリは石山を指すそうで、金田一京助博士は、このシヌプ説を支持したそうです。  

 もう一つ、信夫山はかつて青葉山とも呼ばれていました。山伏の活躍した、山岳信仰の中心地であった西峰「羽山」を大羽山と呼び、その同音から転じて大葉山、青葉山と呼ばれるようになった説があります。
 伊達政宗が信夫山に陣を構え、上杉の福島城と戦った松川合戦の後、仙台に帰った政宗が仙台城を築いた折に、山伏の恩に報いるため「青葉城」と雅号をつけた話は有名ですね。
 一方、この土地の人々は、敬愛と信仰の念を込めて「御山」と呼んできました。「信夫山」という名前にたどり着くには、色々な経緯があり、その時の人の思いが諸説にもあふれているのです。
 
※「その24 仙台の「青葉城」は信夫山の古名!?」も読んでみてください。
 

H28.05.01発行 リビング福島に掲載
 

 
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