信夫山おもしろ話 Chapter.6 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その26 ~ その30
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その26 信夫山の記念碑
 信夫山には歴史を刻むたくさんの記念碑があります。今回はそれを紹介してみましょう。
 例えば、吾妻山殉難記念碑(明治32年建立)。明治26年6月7日、吾妻山が噴火した際に観測調査に当たっていた三浦宗次郎技師・西山惣吉技師が巻き込まれ、亡くなったことの碑です。日本の火山噴火観測史上初の殉死だったそうです。
 大島要三翁銅像(昭和12年建立)。東北本線鉄道工事をはじめとする大工事に功績があり、福島商工会議所初代会頭や衆議院議員も努めていた人物です。福島競馬場を招へいした人物としても有名で、競馬場を見下ろす角度で銅像が立っています。  

 養兎記念碑(昭和38年)。福島でウサギを飼育し、毛皮を生産した記念碑です。最盛期は100万枚に及ぶ毛皮を産出し、その後アンゴラウサギの飼育で年1万ポンドを生産。軍のコートに利用されたそうです。
 佐藤善一郎翁胸像(昭和40年建立)。昭和32年県知事就任から、福島の発展に尽力された功績を称え、建立されました。
 警察犬慰霊碑は、シェパードの像と共に、警察捜査に従事した功績がたたえられており、裏面には19頭の名前が彫られています。他にも、電気事業殉職者慰霊碑、方位標示石、石灯篭、信夫山公園の碑等、たくさんの碑が点在しています。
 いろいろな歴史に触れることができるのも、信夫山の魅力の一つです。

H27.02.27発行 リビング福島に掲載

その27 信夫山の歌碑たち
 前回は記念碑でしたが、今回は、信夫山は和歌・短歌・俳句文化の中心地だった、というお話です。
 平安の昔から、信夫山は歌枕として数多くの和歌に詠まれていますが、江戸時代や明治時代にもすぐれた俳人・歌人が信夫山に集まりました。
 江戸末期、「名月の碑」で有名な御山村名主の西坂珠屑(しゅせつ)は、板倉公にも信仰があり、薬王寺に俳壇をつくって多くの俳人を輩出しました。明治41年には東北六県の「奥羽俳人大会」が薬王寺で開催されたほどです。
 信夫山公園には、有名な俳人・歌人の歌碑がたくさんありますのでいくつかご紹介しましょう。   

 原袋蜘(たいち)の句碑「永き日も 遊びたらずに 暮れにけり」。懐かしい思いがこもる句ですね。
 杉聴雨(ちょうう)の句碑「月や雲 世の憂きことも 信夫山」は、忍ぶをかけています。
 難しい歌では、六種園望遐(りくしゅえんもちとう)の歌碑が冬を詠める旋頭歌(せんとうか)として知られています。旋頭歌と言うのは和歌の一形式ですが、「五七七五七七」の六句で詠み上げ、万葉集にも数首収められています。
 他にも、紹介しきれない歌碑がしのぶ山にはまだまだたくさんあります。
 知れば知るほど、山の中に魅力が詰まっているのが、私たちを毎日見守ってくれている「信夫山」なのですね。

H28.03.05発行 リビング福島に掲載

その28 霊華のかんざし その1
 今回は、門間クラさんが書いた「信夫山ざっとむかし」から、霊華のかんざしをご紹介します。
 信夫山には神様がいて、父神様には2人の美しい娘がおりました。
 この2人のお姫様は性格が正反対で、姉の信夫は優しくおっとりとしており、妹の出羽は頭が良く少し意地悪な性格だったそうです。
 例えば、2人で野山を散歩していると、美しい花を見て、信夫は採りたいけれどかわいそうかなとためらいますが、出羽はさっと採ってすぐその辺にポイと投げ捨ててしまうのです。   

 ユズ畑を歩いているときは、朝日に輝くユズを見て、信夫が1つもらってもいいかと迷っていると、出羽がわざと枝をゆすって、肉厚のユズを採ってしまうのでした。
 父神様はその2人の様子を見ながら、どちらに神の位を譲るか悩んだのですが、やはり姉の信夫に神の位を譲ることを決めました。
 跡目を譲る時には、「神のみ印」である霊華のかんざしを渡すことが決められており、それを受け取った信夫は、うれしくて、胸にそれを抱いたまま昼寝をしてしまいました。
 しかし、出羽がそれを奪ってしまったのです。出羽はそのかんざしを抱え、出羽の国に行き御山を開ました。出羽の人々がたくさん信者になったそうです。
(続く)

H28.03.12発行 リビング福島に掲載

その29 霊華のかんざし その2
 姉の信夫のかんざしを奪い、出羽に御山を開いた妹について、父神様は信夫にこう告げました。
「この信夫山が一番早く開けた威厳のある山であり、気持ちに穢(けが)れのある者、罪ある者の参拝は許さない。だが、奥の出羽山は悪いことをした者でも一度は許すから、お参りしても良い」。
 信夫は心底それをうれしく思い、「私が守る信夫山は、品格のある人がお参りに来てくれる。この山をしっかり守らないと」と心に決めたのでした。
 信夫の元には参拝客は少なくとも、熱心な信者が多く集まり、信夫は一人一人に優しい言葉をかけ、温かい心で接しました  

 すると「出羽よりも信夫の方がご利益があるそうだぞ」と噂(うわさ)が広まっていきました。
 中には「オレは悪いことをしたけれど、黙って参拝すれば誰にも分かるまい」と善人にまざって参拝する悪人もおりました。しかし神様はお見通しで、そのような参拝をする罪人は、いつの間にか神隠しにあってしまったそうです。
 そして、信夫の人格も手伝ってか、信者もどんどん増えていき、父神様は、姉の信夫に継がせたことは間違いではなかったと、胸をなで下されたそうです。
 山形の出羽三山は、それはそれは立派な御山ですが、信夫山は、それよりさらに古かった、という伝説です。びっくり!

H28.03.19発行 リビング福島に掲載

その30 足尾さまとわらじ
 今回も門間クラさんの「信夫山ざっとむかし」から足尾神社のお話です。
 江戸時代の後期、信夫山には、狩野派の絵師で西坂楳山(ばいざん)と名乗るおじいさんがおり、周りからとても尊敬されていました。
 当時は、貧しい農家が多く、農民たちは疲れで足腰の痛みに悩んでいましたが、休む暇がありませんでした。
 そんな折、三重県の伊勢参りの話が持ち上がり、楳山も含め、5~6人の一行で数カ月かけて歩いて旅をしました。何とか無事、参拝が済んだのですが、楳山は、足の痛みで起き上がることができなくなり、皆を先に信夫山に帰しました。  

 そんな夜、白い着物を着て、つえをついた白髪の老人が夢枕に立ち、「この近くに『足尾様』と呼ばれる足の神様が居るのでお参りをするがよい」と言ったそうです。夢のことが気になって夜中に起きて探してみると、そこに足尾神社がありました。お参りをしたところ、不思議に足の痛みは取れてしまいました。
 神様に、お礼を言った楳山は、痛みに苦しむ信夫山の人にも伝えたいと、お札を持って帰り、信夫山羽黒神社の脇に、足尾様の小宮を建て、祀(まつ)ったのでした。
 それからというもの、足腰が痛い人がお参りをすると痛みが取れると評判を呼び、それでお礼にワラジを奉納するようになったのだそうです。

H28.03.26発行 リビング福島に掲載
 

 
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