信夫山おもしろ話 Chapter.3 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その11 ~ その15
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その11 信夫山は恋の山
 ご存知でしたか? 信夫山ほど、恋の歌が多く詠まれた山はありません。平安の昔から、みちのくの信夫山は歌枕として数多く登場しています。
「きみ恋ふる 涙しぐれと降りぬれば 信夫の山も色ずきにけり」とか「恋詫びぬ 心のおくの忍ぶ山 露もしぐれも 色にみせじと」など、平安の貴族は“しのぶ恋”“忍び泣く”“しのんで通う”“耐え忍ぶ”などの恋の思いと、みちのくの響きを重ね合わせて、憧れの信夫山のイメージを心に描いていたのでしょう。  

 歌枕とは、和歌を詠むときに定番として出てくる名所のことですが、信夫山を読んだ和歌は実に90首もあり、全国的に著名な歌枕でした。面白いのは、信夫山の羽黒神社の下に、有名な「名月の碑」がありますが、そこには「名月や ものに触らぬ 牛の角」と彫られています。「名月の月の明るさに、牛も角を触らず歩くことができる」と書いてあると思うと、さしたる名歌とは思えませんね。しかし、それは勉強不足で何と「牛の角」とは、平安時代の恋の隠語でした。すると、この歌の意味は、「月の明かりをたよりに、誰にも会わずに、あなたのもとへ忍んで行きます」という意味になるのですね。深い!
 歌を読んだのは、信夫山御山部落の名主、西坂珠屑(しゅせつ)という俳人です。信夫山は文化の山でもあったのです。

H27.11.01発行 リビング福島に掲載

その12 信夫山「北限のゆず」
 11月に入って「信夫山のゆず」がすっかり黄色く色付いてきました。
 かつては「北限のゆず」といわれ、「見た目は無骨だが皮が厚くて香りが強く味がいい」と評判でした。確かに「くだりもの」といわれる、温かい地域で育ったユズは、見た目はきれいで柔らかなのですが、信夫山のユズと比べると味も香りもだいぶ下がります。
信夫山のユズは、「御山のゆず」とも言われ、大わらじ奉納の「暁まいり」のときに、参拝者はユズ湯、ユズ飴、ユズ味噌などを必ず買って帰ったものでした。  

 信夫山にユズが栽培されたのには伝説があって、信夫山頂上の羽黒権現様が都からお渡りになったとき、お守りに持ってきたものがユズだったといわれています。御山部落では家の周りにユズを植えて「いぐね」の守りとすることになったのがユズ栽培の始まりだそう。ユズは香気が高く、都では食料にも薬用にも使われ、軒に下げただけでも魔除け・厄除けになるほど効能が高かったといわれています。
 信夫山では、江戸初期から栽培されていたようで、昭和元年の資料には栽培430本、産量約10トン、販路は遠く新潟・山形・北海道まで売られていたそうです。現在では、温暖化の影響で岩手県までユズは出来るようですが昔は北限だったのですね。

H27.11.07発行 リビング福島に掲載

その13 信夫山で一番高いところはどこ?
 信夫山は、信夫三山といわれる三つの峰からなっていて、東から順に「熊野山」「羽黒山」「羽山」と呼ばれています。信夫山の一番高いところはどこか知っていますか? というと、福島の古い人は、自信を持って熊野山268㍍と答える人が多いのですが、実は、信夫山の高さは3度も変わっているのです。
 国土地理院の昭和52年の地図によると、大わらじが奉納されている羽黒山は意外や260㍍と一番低く、鴉が崎のある羽山は267.6㍍で二番目、熊野山が268.2㍍で一番高いと表示されました。昔の人はそれを覚えていたのですね。  

 ところが、その後の測量で羽山が272㍍あることが分かりトップの順位が入れ替わりました。さらに、平成13年になって、羽山の湯殿山神社の後ろにある大日岩が、さらに3㍍高いことが判明し、信夫山の最高点は275㍍と正式に認定されたのです。当時の民友新聞や毎日・朝日新聞などを見ると「3㍍高くなった信夫山」として記事が出ています。それを指摘したのは福島市町庭坂の土井勝さんという山岳山頂研究会の方でした。
 深秋の今、鴉が崎に立つと福島市の大西部がパノラマのように広がり、実に爽快な気分です。ぜひ、登ってみましょう

H27.11.14発行 リビング福島に掲載

その14 信夫山はだれがつくった?
 今回は、信夫山が誰がつくったか、という子供が感心する伝説です。
 昔々、どこからか大徳坊と呼ばれる大男がやってきました。大徳坊はたんがら(背負い籠)に三背ほど山土をいれて背負って来たといいます。そして、はじめに土をあけたところが「羽黒山」です。つぎに土をあけたのが「熊野山」で、三つ目に土をあけたのが「羽山」になりました。  

 「羽黒山」は、大わらじと羽黒神社が祀(まつ)られている信夫山の中心ですし、「熊野山」は金華山ともいわれ村人の憩いの場でした。「羽山」はもちろん鴉が崎がある所ですね。
 そして、底を見ると土くれが少し残っていたので、ぽんと空けたのがあの一盃森です。「わあ、そうだったの?」と子どもは目を輝かせます。
 話はまだ続いていて、腹がへったので昼飯にしようと飯曲輪(まげわっぱ)を開いてみたら、飯の間に小石が混ざっていたので、箸でつまんで投げたのが石が森だといいます。石が森とは現在の阿武隈急行の卸町駅の脇にある巨岩の並ぶ小山です。一度は子どもと見に行ってみましょう。伝説の信夫の三狐の一匹「鴨左衛門」の巣穴があったところに、今は立派な朱色のお稲荷様が祀られています。
 こんな風に、信夫山にはたくさんの伝説が残されています。森合の一盃森も登ってみましょう。

H27.11.21発行 リビング福島に掲載

その15 信夫山の二匹の妖怪
 今回は、信夫山の主(あるじ)といわれた、二匹の妖怪の伝説を紹介しましょう。
 信夫山トンネルの北に、「酒のあかい」というお店があります。その脇に「七曲り坂登り口」という看板がありますが、その七曲り坂は飯坂の佐藤庄司が、わざわざ切り開いたといわれる急坂です。
 昔々、その七曲り坂には巨大なムカデが住んでいたのでした。そのムカデは、せっかく村人が育てた作物を食い荒らしたり、ときには人を襲ったりと、信夫山の主を名乗り悪さを繰り返していたのです。  

 一方、信夫山の南の、現在の噴水公園のところには、巨大なオロチが住んでいて、こちらも信夫山の主を名乗っていました。そこは昔は黒沼といわれた底なし池があったところで、あちこちに動物の骨や、白い人骨が転がっていたといいます。
 ある日、この二匹が信夫山の西端の鴉が崎でばったりと出会いました。そして、たちまち激しい戦いとなり互いに傷つけあって、ついに二匹とも滅んでしまったのです。
 江戸時代の後期、文久2年に山火事が起きて、その時にムカデの白骨が焼け残っていたのが発見されました。「五月十六日、羽山大権現宮前ヨリ野火発シ、ソノ節焼忙イタセシムカデ、白骨ニテ相残ル 信夫山麓森合村、願主清作」と書いた古文書がちゃんと残っています。
 やっぱり信夫山はすごいですね。

H27.11.28発行 リビング福島に掲載

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