信夫山おもしろ話 Chapter.2 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その6 ~ その10
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その6 愛猫の写真を「ねこ稲荷」へ奉納
 今月2月22日の“ニャンニャンニャン”の「猫の日」。リビング福島「わが家の『宝猫』」特集でたくさんの猫たちが登場し、いかに猫が人を癒し愛されているか、エピソードと共に紹介されました。
 いつも身近にいて、すべすべ・ふわふわして、甘えん坊で、自由気ままな猫は、飼い主にとってはペット以上の心を分けた大切な存在。そんな猫を愛する人たちが多い福島には、猫に縁のある地名や、猫を祀(まつ)った小神社が各地にあります。  

 その理由の一つが、昔、養蚕で栄えた地域だったところから、蚕を食い荒らすネズミを退治する猫が大切にされた、という言い伝えです。今では養蚕は廃れてしまいましたが、川俣町「猫稲荷」や、信夫山「ねこ稲荷(西坂稲荷)」など、猫を愛する人が大切にしている神社がいくつか残っています。
 そこで信夫山のねこ稲荷では9月27日(日)、「猫の幸せ祈願祭」を開催。参加希望の方は、「わが家のじまん猫」「思い出の猫」の写真を持って、午後2時に信夫山護国神社に集まってください。祈願祭を行った後、信夫山中腹のねこ稲荷に、皆さんの猫の写真を貼りましょう。何年か後に再び参拝に行くと、あなたの猫の写真がきっと残っていて、思わずウルッと涙があふれてきますよ。参加料は祈祷(とう)料込500円、記念品もあります。

H27.09.26発行 リビング福島に掲載

その7 信夫山に皇后様と皇太子様が逃げてきた?
 まさか! と思うかもしれませんが本当の話です。昔々、仏教伝来で名高い第29代欽明(きんめい)天皇の時代、30代の敏達(びたつ)天皇の地位をめぐり、兄弟の王子が争うことになりました。勝ったのは、なんと弟の王子。こうして敏達天皇が誕生したのです。
 争いに敗れた兄の淳中太尊(ヌナカフトノミコト)は、都を追われ信夫山に落ち伸びてきました。そして、兄を応援していた御母宮(欽明天皇の妻)の石姫皇后も信夫山に追われてきたのです。  

その後、淳中太尊が亡くなると、信夫山の山頂に羽黒大権現として祀(まつ)られ、次いで皇后様がお亡くなりになると、黒沼神社に大明神として祀られました。この話は、信夫山護国神社の隣・黒沼神社に、神社縁起として大きく掲げられています。
 この黒沼神社はたいそう古い神社で、護国神社(1879年.)よりもはるか昔から信夫山に鎮座していました。欽明天皇の時代は700年代ですから、この伝説は本当の話かもしれませんね。
 なお、皇太子様についてきた6人の家来は、羽黒大権現の六供(ろっく)といわれる高僧になり、現在もその子孫が信夫山に住んでいます。皇后様についてきた7人の家来も七宮人と呼ばれ、同じく子孫が信夫山に住んでおられます。びっくり!
 信夫山はこんな伝説がいっぱいの山なのでした。

H27.10.03発行 リビング福島に掲載

その8 信夫山は実は山ではない
 前回に続き、これも驚きですが本当の話です。実は信夫山は、福島盆地が陥没した時、ぽつんと取り残された「残丘」あるいは「孤立丘」と呼ばれる地形だったのです。
 信夫山の誕生は、1000万年前にさかのぼります。当時の東北地方は海底時代で、信夫山の地層はその時代に海底に堆積したものだそうです。その証拠に、信夫山東部では今でも木の葉や魚の化石が見られますね。500万年前あたりから、次第に東北地方の隆起が始まり、やがて吾妻連峰やあだたら連峰などができてきました。  

また、その頃に信夫山の地下にはマグマが昇ってきて、周辺の地層は岩石のように固くなりました。
 そこで起こった大事件。50万年前ごろ、なんと福島市の西部から国見まで連なる大断層が出現し、「福島盆地」といわれる地域が大陥没を始めたのです。そのとき固くなっていた信夫山のところが取り残されて、盆地の中にぽつんと取り残されたという訳ですね。納得!
 面白い話があります。福島市三河南町に「コラッセふくしま」を建てる際、ボーリング調査を行いました。地下120㍍でようやく岩盤に突き当たったのだそうです。ということは、275㍍の信夫山は、腰まで土砂に埋まった山で、本当は395㍍もあったことになります。びっくり!
 信夫山は謎が深いですね。

H27.10.10発行 リビング福島に掲載

その9 となりのトトロと信夫山
 今回は、あの宮崎駿監督の名作アニメ、「となりのトトロ」のオープニングテーマ「さんぽ」が信夫山から生まれた、というニュースです。
 歌詞を作ったのは、「ぐりとぐら」や「いやいやえん」などさまざまな文学賞で有名な童話作家の中川李枝子さん。ご存じの方も多いでしょう。その中川さんは戦後、小学生のときに疎開で福島市へ移り、福島第二中学校を卒業。福島県立福島女子高校(現・橘高等学校)に通い、高校2年まで福島市で暮らしました。そして、その当時よく散歩したのが信夫山だったそう。  

「さんぽ」は、そんな信夫山のイメージを膨らませて書かれたものだそうです。トトロの中では、続いてイメージソング「すすわたり」「ねこバス」「ふしぎとりうた」など、たくさんの挿入歌を書いています。信夫山の緑のトンネルや、気持ちのいい青空の記憶が、トトロの元気いっぱいの歌になったのでしょうね。テーマソングを歌った井上あずみさんも、信夫山を訪れています。
 実は信夫山は、文学の山でもあったのです。昔は、信夫山の薬王寺に東北を代表する俳壇(サロン)があり、多くの文人が集まりました。そういえば、護国神社の向かいの太子堂公園には、数多くの有名歌人の歌碑が立っていますね。
 信夫山は、知れば知るほど奥深い山なのでした。

H27.10.17発行 リビング福島に掲載

その10 古関裕而と信夫山
 福島市の誇る作曲家、古関裕而のことはみんなが知っていますね。福島駅を降りると、駅前広場でまず目に止まるのがピアノに向った古関裕而のブロンズ像です。
 その古関裕而が、信夫山に眠っています。護国神社から信夫山墓地を登っていくと、初めの小路があります。そこを右に入った、大きなサルスベリの木のところに、古関家の墓所があります。古関裕而のご先祖様、古関三郎冶は、信夫山に大きく貢献してきました。  

ほら、ハローワーク向かいの噴水公園に祓川橋という石橋が保存されていますね。それは享和3年(1803年)に古関三郎冶が寄進したものです。
 もとは県庁通りから信夫山に突き当たった、祓川にかかっていました。橋脚が半円形で、祓川に美しく映り「御山のめがね橋」といわれ人々に愛された橋です。また、峯の薬師堂の裏に大日如来像がありますが、これも三郎冶の寄進です。当時の文化人だったのですね。
 古関家は昔「きたさん」という屋号の呉服問屋さんで、駅前レンガ通り沿い「チェンバおおまち」手前に記念碑が建っています。当時の商家は地域に貢献をするのは当たり前、という心意気があったのです。
 古関家は代々三郎冶を名乗り、橋を寄進したのは五代目三郎冶、そして古関裕而は、七代目に当たるそうです。

H27.10.26発行 リビング福島に掲載

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