信夫山おもしろ話 Chapter.16 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その76 ~ その80
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その76 女性だけの会(二十三夜講)
 信夫山には「二十三夜塔」という不思議な石碑があちこちにあります。
 「二十三夜に、女性だけが集まって開く秘密の(?)集会だった」という謎めいていますが、これは室町時代の後期に京都の公家社会で始まった「月待ちの行事」で、やがて民間にも広がり近年まで続いていたものです。
 何かというと、月の出が一番遅い、旧暦二十三日の夜は、深夜0時ごろになってようやく月が昇り始めます。しかも、その月は下弦の月で、特別の霊力があると信じられていました。  

 その月の光を浴びると若返りや、不老長寿の効力があるといわれていて、女性たちは心を清めて月の出を待ったそうです。春は牡丹餅(ぼたもち)、秋は御萩(おはぎ)を23個お供えしました。
 ところが、時代が下るともうひとつの楽しみも加わってきました。みんなで持ち寄った料理を食べながら、女性たちは真っ暗なその夜だけは、思いっきり舅(しゅうと)の悪口を言っても良かったのです。それがだんだんと安産や子育て、家内を相談する「観音講」に変っていったのですね。
 信夫山で有名なものは、羽黒神社の登り口右にある「弘安の逆さ板碑」で、文政(江戸時代)の碑なのに弘安(鎌倉時代)の文字が逆さまに書いてある、つまり再利用しています。二十三夜塔は羽黒神社境内や、岩谷観音にもありますよ。
 

H29.03.11発行 リビング福島に掲載

その77 天台宗の古刹「薬王寺」
 信夫山の第一展望台のある峰を、寺山とか青葉山と呼んでいますが、その頂上にあるのが青葉山「薬王寺」です。
 その歴史は古く、天安元年(857年)慈覚大師により開山されたと伝えられています。
 江戸時代の初期、福島藩主・堀田正仲は福島城の鬼門の要とし、後には板倉藩の祈願寺として、幕末まで度々記録に登場しています。
 ご本尊は、阿弥陀如来坐像ですが、別の間の護摩堂には秘仏日の出不動尊が祀(まつ)られています。天台密教の護摩祈祷(きとう)の本尊ですが、剣と網を持って怖い顔をしています。  

 昔、本道に忍び込んだ泥棒が、不動尊の金縛りにあって、朝まで動けなくなり捉えられた話が有名ですね。
 また、御神坂(おみさか)にある羽黒観音堂から預かって保管している如意輪観音は、福島市の有形文化財として指定されている優美な仏さまです。
 もうひとつ有名だったのが元禄の大鐘で、薬王寺の晩鐘として、福島八景の一つに数えられていました。現在は新しい鐘楼が作られています。
 薬王寺は、江戸後期から福島俳壇のサロンにもなり、多くの俳人・文人が集まりました。明治41年には東北六県のイベント「奥州俳人大会」が開催されるなど、いわば福島の文化の中心でもあったのです。やはり、信夫山は大した山なのですね。
 

H29.03.18発行 リビング福島に掲載

その78 謎石の多い信夫山北側
 信夫山の北側というと、あまり知られていないのではないでしょうか。
 信夫山トンネル北の国道13号も、昭和初期の写真を見ると田んぼの真ん中を通る田舎道で、馬車がようやく擦れ違えるぐらいの道幅しかなかったのが分かります。
 ですから、信夫山北側には昔のお話がいっぱい残っていますね。
 例えば、福島駅方面からトンネルを抜けて左の、和食店「升冨 しのぶ野」の辺りは「転石」という住所です。昔、子守の娘が信夫山の悪口を言ったら、頂上から大石が転げ落ちてきて、憐(あわ)れ娘は押しつぶされてしまったそうです。  

 つい、60年ぐらい前まで田んぼの真ん中に大石がありましたが、現在は辻(つじ)のところに転石の石碑が立っています。
 一方、トンネルを出て右手の信夫山中腹には、ぼたもち岩(神楽岩)という大岩があって国道からいつも見えていました。最近は雑木に隠れて見えなくなりましたが・・・。
 また、「酒のあかい」から山裾の道を東に進むと、旧道沿いに馬石・蛙石・三日月岩・二十三夜石・烏帽子岩などの拝み石があって、一つ一つにいわれや言い伝えが残っているそうです。
 松川の護岸工事で壊された「猫石」は、その後工事に関わった作業員が亡くなり祟(たた)り石といわれたそう。現存の石はいつまでも伝説と一緒に残って欲しいですね。
 

H29.03.25発行 リビング福島に掲載

その79 信夫山公園の桜あれこれ
 信夫山公園は、明治7年に明治政府から市民の公園として認可され、駒山公園から整備が始められました。なんと、東京の上野公園と同じ時期だそうです。
 現在の信夫山入口「芝生公園」は、当時、「黒沼」という大きな沼で、その昔、沼の主・オロチが住んでいたところといわれていました。駒山公園の工事で、ずいぶん小さくなったそうです。
 近年まで沼が残っていましたが、昭和60年代に苑池化され桜の噴水公園となりました。  

 明治32年には、福島町長・鐸木(すずき)三郎兵衛による「信夫山を桜の名所にしよう」との呼びかけで、町の有志により1万本のソメイヨシノが植えられました。100年後の世代が楽しめるようにと、祖先からの贈り物だったのですね。現在では信夫山全山で約2000本、公園内で200本余りの桜があるといわれています。
 さて、護国神社の道路向かいが信夫山公園で、昔は愛宕山(あたごやま)と呼ばれ、伊達政宗が本陣を構えて福島城と松川合戦を行ったところです。今では、桜の季節に花見茶屋が立ち、賑(にぎ)わいます。信夫山公園(太子堂広場)の東の、一段下がったところが堂殿「大日堂広場」で、桜の名所です。たくさんの歌碑・記念碑があり、信夫山の奥深さを感じることができますよ。
 

H29.04.01発行 リビング福島に掲載

その80 信夫山は恋の山(その2)
 信夫山ほど恋の歌に詠まれた山はないでしょう。平安時代から、都人の「奥州みちのく」への憧れは大変なもので、たくさんの歌が残されています。
 中でも「信夫山」は人気の的で「しのぶ」という響きが、忍ぶ(人目を忍ぶ)、偲ぶ(思い慕う)、慕う(懐かしくおもう)、さらに、恋の哀しさや世の憂きことを忍ぶ(耐え忍ぶ)を連想して、恋心に思いを重ねたのでしょうね。
 信夫山を詠んだ歌だけでも90首あります。  

「しのぶ山 しのびてかよふ道もがな 人の心の奥を見るべく」(伊勢物語15段)=「あなたの元へ人目を忍んで行ける道があったらなあ、あなたが心の奥で私をどう思っているのか、知りたいのだ」という意味になるのでしょう。この場合の「しのぶ山」は“しのぶ恋”の形容詞のように詠まれていますね。
「いかにせむ 信夫の山を超えかねて 帰る道にはまた惑ひける」(慈円)=「あなたを偲ぶ恋心を打ち明けきれず、どうしたものか、ひとり帰り道にも、まだ迷っているのです」と、少々情けない男心ですが、本当に好きな女性にはなかなか打ち明ける勇気が出なくて、男は惑うのです。
 でも、そんな歌をもらったら、思わず許してしまうかも知れませんね。続く…。
 

H29.04.08発行 リビング福島に掲載
 

 
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