信夫山おもしろ話 Chapter.12 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その56 ~ その60
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その56 六供七宮人の話1
 第7話で、昔、信夫山に皇太子と皇后さまが逃げてきた(?)というお話をしました。
 そこで驚くのは、「その皇太子と皇后につき従ってきた家臣の子孫たちが、今も信夫山に住んでいる」ということです。
 信夫山の羽黒神社は、第29代欽明天皇の皇子(ヌナカフトノミコト)を祀(まつ)っており、麓の護国神社の右隣にある黒姫神社には、その母、石姫(イヒヒメ)皇后が祀られています。その由緒は黒姫神社の正面に、大きく掲げられていますね。  

 そして現在、信夫山の羽黒神社の下の部落にお住まいの人々の中には、77代もさかのぼれる古い家系図を持つお宅もあります。伝説によると、石姫伝説を裏付ける重要な役職を担う方々でした。
 羽黒神社は昔、「羽黒大権現」といわれ、神仏混交の(神様と仏様両方を祀る)神社でした。この大権現を守り、祭事を取り仕切っていたのが、六供(ろっく)=六供僧といわれる社僧で、その下に神楽などを担当する宮人(ぐうじん)がいました。
 旧参道御神坂(おみさか)を登ると、参道に面して六つの小宮が並んでいますが、それは六供の護持する羽黒大権現の摂社です。七宮人もそれぞれ大明神を守っていましたが、今は一つしか残っていません。
 六供・七宮人は重く扱われ、一切除地=無税の扱いを受けていたそうです。 (続く)
 

H28.10.15発行 リビング福島に掲載

その57 六供七宮人の話2
 信夫山には、歴史を物語るように、現在も加藤家・小野家・菅野家ほか、六供(ろっく)直系の子孫が、誇り高くお住まいになっています。また七宮人(しちぐうじん)の曳地家・渡辺家ほかの子孫も多く暮らしています。
 六供・七宮人は、護持する小宮ごとに院号と名前が残っていて、それぞれのお宮には特別のご利益があり、近年まで参拝者が熱心にお参りをしていたそうですよ。  


・正八幡宮 = 八幡院   渡辺蔵人(くらんど)
・牛頭天王宮 = ??園院(??は、ころもへんに氏)  小野掃部(かもん)
・天王宮 = 山王院    菅野主計(しゅめ)
・三宝荒神 = 三宝院   加藤大学(だいがく)
・一ノ宮明神 = 一宮院  西坂内匠(ないし)
・天神宮 = 自在院    西坂隼人(はやと)
 
 驚くのは、旧参道に面して加藤家の石碑がありますが、その表には「羽黒山六供社人 元山伏 加藤藤右エ門大学邸」とあり、裏に「第七十七代 加藤伝」と彫られています。一代30年としてもすごい歴史ですね。
 さて、六供・七宮人の話は史実ですが、実は、皇太子と皇后さまが信夫山に逃げてきたという石姫伝説の方は、江戸中期の堀田公(板倉公の前)によって整備されたという説があり、正式な歴史では、あくまで伝説として扱われています。
でも、伝説だからこそ、信夫山は面白いのです。
 

H28.10.22発行 リビング福島に掲載

その58 信夫山の念仏橋
 今日は、不思議な念仏橋のお話です。
 旧参道御神坂(おみさか)には、六供・七宮人(ろっく・しちぐうじん)の小宮が並び、石姫伝説に関わる古い家柄の方々が、今も暮らしています。
 その御神坂を息を切らしながら登ると、ぱっと視界が開け、羽黒神社の赤鳥居が見えてきます。
 その平地の左に、不思議な石碑が立っていて、なんと昔は橋として使われていたそうです。しかも渡る際に、お念仏を唱えていたというのですね。   

 その石碑は、文永の板碑といい、中央上に大日如来の種子が刻まれ、下に
   右志者為非母之時
  種子 文永十年 孝子敬白
   菩提門造立之如件
と彫られています。
 つまり、亡くなった母のために建てた供養碑で、孝子というのは本人のことでしょう。文永十年は、1273年ですから、今から745年も前(鎌倉時代)のものです。
 昔は甘粕(第二展望台の近く)にありましたが、なぜか、泉川(信夫山トンネルの北側二つ目交差点)の橋として利用されたそうです。そんな恐れ多い橋ですから、渡るときにはお念仏を唱えたのでしょうね。
 脇に副碑があり、詳しい訳が書いてあります。
 このように、旧参道を少し登るだけで、信夫山の不思議を感じることができます。ぜひ探索してみませんか。
 

H28.10.29発行 リビング福島に掲載

その59 民話を聞く会ご案内
 さて、信夫山ほど面白い話が詰まっている里山は、全国を見渡してもそうないでしょう。
 ご存知の「大きな湖に信夫山がぽっかり浮かんでいた」という話に始まり、なんとその昔、皇太子さまと皇后さまが、信夫山に逃げてきた話(黒沼神社由来)、信夫の三狐、信夫山48石伝説、御山ゆずの話など、数え上げたら限(きり)がないぐらいの伝説や不思議話があります。  

 信夫山ガイドセンターは、そんな信夫山の魅力を、展望・歴史・伝説・自然環境など多角的に紹介している施設です。11月19日(土)には、語り部・門間クラさんによる信夫山の民話を聞く会を開催しますので、ぜひお出掛けください。
 

H28.11.05発行 リビング福島に掲載

その60 板倉の殿様の絵馬
 今回は、福島板倉藩のお殿様が代々、信夫山黒沼神社に奉納していた「絵馬」のお話です。
 板倉家は、江戸中期(元禄時代)の板倉重寬を初代として、幕末の板倉勝達まで、なんと12代167年も続いた優秀な小藩でした。
 その歴代の板倉藩主の絵馬7枚が、昨年初めて黒沼神社で公開されました。いずれも一流の絵師によって描かれた素晴らしい出来栄えで、当時の文化水準の高さを示しています(福島市の有形民俗文化財に指定)。
 絵馬とは、元々は神様への神馬奉納に由来するもの。室町時代から画題が多様化して、さまざまな吉祥画が描かれ、豊作や経済繁栄などの願いが込められて奉納されるようになったそうです。  

 お殿様の奉納した絵馬にも、競べ馬図・唐獅子図・旭日双鶴・鯉に乗る仙人・松に梅花図などさまざまな図柄が描かれています。
 実は、この展示は「まちのおかみさん会」の尽力で実現したものです。
 福島市のふれあい歴史館に保管されて眠っていたものを、ぜひ、信夫山の豊かさの一つとして紹介したいと、おもてなしの野点(のだて)も組み合わせて、女性らしい展示会になったのですね。
 さて、このお話は続きがあって、その絵馬と同時に町衆・村衆の奉納した大絵馬も公開されたのですが、それが…(続く)。
 

H28.11.12発行 リビング福島に掲載
 

 
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