信夫山おもしろ話 Chapter.11 | 信夫山ガイドセンター
“信夫山”のおもしろ~い話  その51 ~ その55
このお話は「生活情報誌 リビング福島」にも掲載されています。
その51 信夫山のパワースポット②
 信夫山の不思議なスポットの続きです。
 さて、羽黒神社のすぐ下の参道に「弁慶の膝かぶ石」といわれる、ポコンと丸いへこみがある大石があります。信夫山にきた弁慶が膝をぶつけたら、岩がへこんだといわれ、昔から膝の痛みに悩む多くの人々が、この凹みに膝を当てにきたそう。試しに膝を当ててみてください。ぴったり収まりますよ!  

 弁慶の拝み石はもう一つ、信夫山の麓、県庁通りを突き当たった左に「弁慶の足跡石」があります。弁慶が釣り鐘を担いで登ったら、ベコンと岩がへこんで足跡が付いたといわれる大石です。昔は、巨大なものにすがって厄を払う、巨神信仰が盛んだったので、この大石も身体壮健、健脚の守りとして、あがめられたのだそうです。
 第二展望台付近の「てんぐら岩」は、天狗の黄金が埋まっているといわれているパワースポットで、気の流れの強いところ。疲れた体、心の悩みなどが、たちまち爽やかに回復するそうですよ。
 実はこれらの岩は「信夫山四十八石」といわれる伝説の霊石なのでした。
 さすが、信夫山はすごいですね。
 

H28.09.03発行 リビング福島に掲載

その52 信夫山の水ものがたり①
 信夫山は、盆地の中の独立峰なので、あれだけ緑の山なのに水脈がありません。「水のことでは大変な苦労をしたものだ」と言う、御山部落の住人・加藤ヨシおばあさんにお話を伺いました。
 
●たったひとつの井戸
 「今でこそ信夫山にも水道が上がったが、昔は想像もつかないくらい水は大切なものでした」。  

 「なにしろ、御山部落には竪井戸がたった1つしかなく、それを部落18戸が使っていたから大変。いったんこの井戸が涸(か)れたら死活問題で、夜中に水を汲(く)みにいくのも珍しくなかった。そこで、区長は井戸に鍵をかけて厳しく分け水をしたんだわね」。
 「それでも足りないと、水汲み専用の大樽を馬の背に付けて、下のたんたら清水に水汲みに行った訳よ。当時は道も狭くて険しいから、降り登りは大変な重労働。だから水は金銭より大切に使われたもんだわ」。
 「部落では、雨水を大切にためて使ったり、ため池の水を生活に使ったりしていた。珍しいのは、国内でもあまり例のない横井戸があったのよ」。
 「風呂なんかは大贅沢(ぜいたく)で、水汲みは大仕事だったから幾晩も同じ湯をたてかえして入ったもんだった。トタン屋根は雨で楽できてうらやましがられたもんだ。洗濯は里に下りて、ガッチャンポンプの井戸で水借りしたのよ」。
 

H28.09.10発行 リビング福島に掲載

その53 信夫山の水ものがたり②
 水に困っていた信夫山に、水道が来ることになったのも大変なご苦労があったのです。加藤ヨシさんの話は続きます。
 「ある時、そのたった一つの竪井戸が原因で、疫痢(えきり)?の流行(はやり)病いが蔓延したことがあったのよ。赤子のいる母親が亡くなって大騒ぎ。保健所の調べで、井戸水をくみ上げるツルベを汚い手で触ったのが原因だと分かり、総出で大掃除したわ」。   

 「そんな時、あの薬王寺の隣りに、電電公社の無線中継所ができるという話になった。作業員が50人も来るので、そこに水道が引かれることになったのよ」。
 「そこで部落では絶好の機会だと、早速、水道利用組合を作って公社や市と交渉。協力金・補助金を出してもらって、羽黒神社まで水道を引いて配管をする計画を立てたの。なにしろ、莫大な費用が掛かる訳だから、みんなの負担金も大変なもんだったけれど、今までの水くみの苦労を考えると、本当にありがたい事業だったわね」。
 そうして、御山部落の各戸に水道が引かれたのが昭和36年のことだといいます。加藤ヨシさんは、初めて水道の蛇口から水がほとばしった感激を、今でも鮮明に覚えているそうです。
 だから、信夫山に住む人は、今でも水をとても大切にしていますね。
 

H28.09.17発行 リビング福島に掲載

その54 信夫山の五つの登拝路
 登拝路(とうはいろ)とは、神社や仏閣に参拝するために登る参道のことです。信夫山には、昔、南の祓川口本参道、東の岩谷口、北坂口、北七曲り坂、西の森合口と、五つの参道がありました。
 信夫山は、山伏の山として有名です。山伏は修験者(しゅげんじゃ)といわれ、霊験を身につけ、五穀豊穣を祈念し、諸病悪行を祓(はら)う力があるといわれていました。  

 登拝路にはそれぞれ先達(せんだつ)といわれる院がありました。例えば南本参道の霞内には常覚院があり、信夫山に参拝するためには、まず祓川で身を清め、不動堂で無事を祈ってから登りました。
 他の登拝路にもそれぞれ院があり、信夫山が栄えた鎌倉末期から江戸時代は、信夫山は威厳のある霊山だったのです。
 古い南本参道は、福島県文化センターの東から羽黒山に登っていました。江戸時代になると、福島城(県庁)からまっすぐに信夫山に登る御山通り(県庁通り)が開かれ、新本参道となりました。
 東岩谷口は、岩谷観音の東に参道入り口があり、北坂口は信夫山一周道路北に鳥居が立っています。七曲り坂口は、信夫山トンネルの北口(酒のあかい)から登ります。
 西の森合口は、新幹線のガード下に登り口があり、養山大清水・24地蔵・33観音が並ぶ、興味深い史跡の道です。 (続く)
 

H28.09.24発行 リビング福島に掲載

その55 信夫山48石の2つ
 信夫山には48石と云われる、とても面白い形の岩があります。
 伝説と信仰の岩で、一つ一つに物語があり、昔は人々にとても大切にされていました。今回は、現在の第2展望台の左下にある、(重箱岩)と(びょうぶ岩)のお話です。
 なんとそこは、40年ぐらい前まで旧第2展望台でした。昔は物見台として使われていたといい、重箱岩の上に立つと、福島市の南部と東部がぐるりと見渡せました。
 残念ながら立木が伸びてしまい、今は視界が狭まっています。  

 その重箱岩が乗っかっているのが、びょうぶ岩の巨大な岩体です。昔は本当に眺めのいいところで、現在の整備された展望台と、ほぼ同じ眺めを楽しむことができました。
 びょうぶ岩は、ぐるりとひと周りできます。見上げてみると、まさに屏風(びょうぶ)のように、垂直に立ち上がっているその高さにびっくりします。
 近くには、同じ48石の「てんぐら岩」「夫婦岩」もあります。詳しくは「信夫山ガイドセンター」でお尋ねください。
 

H28.10.08発行 リビング福島に掲載
 

 
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