前回は記念碑でしたが、今回は、信夫山は和歌・短歌・俳句文化の中心地だった、というお話です。
平安の昔から、信夫山は歌枕として数多くの和歌に詠まれていますが、江戸時代や明治時代にもすぐれた俳人・歌人が信夫山に集まりました。
江戸末期、「名月の碑」で有名な御山村名主の西坂珠屑(しゅせつ)は、板倉公にも信仰があり、薬王寺に俳壇をつくって多くの俳人を輩出しました。明治41年には東北六県の「奥羽俳人大会」が薬王寺で開催されたほどです。
信夫山公園には、有名な俳人・歌人の歌碑がたくさんありますのでいくつかご紹介しましょう。

 原袋蜘(たいち)の句碑「永き日も 遊びたらずに 暮れにけり」。懐かしい思いがこもる句ですね。
杉聴雨(ちょうう)の句碑「月や雲 世の憂きことも 信夫山」は、忍ぶをかけています。
難しい歌では、六種園望遐(りくしゅえんもちとう)の歌碑が冬を詠める旋頭歌(せんとうか)として知られています。旋頭歌と言うのは和歌の一形式ですが、「五七七五七七」の六句で詠み上げ、万葉集にも数首収められています。
他にも、紹介しきれない歌碑がしのぶ山にはまだまだたくさんあります。
知れば知るほど、山の中に魅力が詰まっているのが、私たちを毎日見守ってくれている「信夫山」なのですね。