信夫山は神聖な山だったので、西の羽山は女人禁制であり、部落でもお産をする場所が限定されていました。
タンタラ清水の下に「産居(さんきょ)」という産小屋があって、産婦はそこで別火(べっか)をして、お産をしたのです。別火とは、食時の煮炊きの火を別にすることで、明治の前まで続いたそうです。
臨月を迎えた産婦は、土間に灰をまいた上にむしろを敷き、そこに腰掛けます。21把のわら束を背中に置き、1日に1把ずつ取って、21日過ぎないと平らに寝ることは許されません。悪い血が落ちるからという理由でした。

 ある日、産居でお産をした女性が寝ていると、たまたま付き添いの人が居ない時に、狼(オオカミ)がやって来て、母子共々かみ殺されてしまいました。そこで薬王寺のだいこく(奥さま)にお願いし産居を作ってもらい、部落でお産ができるようになったのです。
それでも産婦は、日に当たることも、羽黒山の参道を横切ることも許されず、どうしても外にでる時は、手ぬぐいをかぶっていたそうです。
また、火を大事にしているので、絶対に火を絶やしてはいけない、産後、身体が治っていないので75日過ぎるまでは生柿とカボチャは食べてはいけない、家族とは100日過ぎたらやっと暮らせるという、厳しい習わしだったのです。