「信夫山」の名前の由来はさまざまで、天保12年(1841年)に志田正徳が書いた記録書「信達一統志」によると、信夫山に生えていた草でも木でもない植物・篠(しの)を、「始・篠生=はじめしのしょうずる」、としたことから、篠生(しのぶ)と呼んだ説が書いてあります。
また、信夫山に生えていた、特有の忍草(しのぶ草)からきたという説も。さらに、学術語のアイヌ語源説もあり、SHI-NUP=シヌプからシノブに転化したとも言われています。シとは大きい、ヌプは平原、そして、NUPURI=ヌプリは石山を指すそうで、金田一京助博士は、このシヌプ説を支持したそうです。

 もう一つ、信夫山はかつて青葉山とも呼ばれていました。山伏の活躍した、山岳信仰の中心地であった西峰「羽山」を大羽山と呼び、その同音から転じて大葉山、青葉山と呼ばれるようになった説があります。
伊達政宗が信夫山に陣を構え、上杉の福島城と戦った松川合戦の後、仙台に帰った政宗が仙台城を築いた折に、山伏の恩に報いるため「青葉城」と雅号をつけた話は有名ですね。
一方、この土地の人々は、敬愛と信仰の念を込めて「御山」と呼んできました。「信夫山」という名前にたどり着くには、色々な経緯があり、その時の人の思いが諸説にもあふれているのです。

※「その24 仙台の「青葉城」は信夫山の古名!?」も読んでみてください。