今回は、信夫山山頂の羽黒神社のお話です。大わらじが奉納されている神社ですから、少し勉強をしておきましょう。
さて、羽黒神社は昔、「羽黒大権現」といって神仏混淆(しんぶつこんこう)=つまり、神様と仏様を一緒に祀(まつ)った神社でした。しかし、日本は神国であるとして、明治2年の神仏分離令により、神社と定められ、立派な仁王門が取り払われてしまったのです。
羽黒神社の始まりは、よく分かっていません。

 聖徳太子のいた推古天皇の時代“羽黒大権現みちのくに現れる”(628年)とあり、天安時代、慈覚大師が古刹(さつ)「薬王寺」を開く(857年)以前には、もう山頂にあったわけですね。
明治11年の「福島県神社明細帳」では、ご祭神は沼中倉太玉敷命(ぬなかくらふとたましきのみこと)、つまり30代敏達天皇ということになっていますから、黒沼神社由緒の石姫皇后の息子、ということになります
それにしても、昔の羽黒神社は立派な大社殿でした。高さは15メートルもあり、総ヒノキ造り、東西北には、ヒノキの一枚板に見事な彫刻が施されていました。保原の長谷川雲橋・雲谷親子が彫ったものです。
雄大素朴な神社でしたが、惜しくも昭和51年に焼け落ちてしまい、朱色のコンクリートづくりになっています。