水に困っていた信夫山に、水道が来ることになったのも大変なご苦労があったのです。加藤ヨシさんの話は続きます。
「ある時、そのたった一つの竪井戸が原因で、疫痢(えきり)?の流行(はやり)病いが蔓延したことがあったのよ。赤子のいる母親が亡くなって大騒ぎ。保健所の調べで、井戸水をくみ上げるツルベを汚い手で触ったのが原因だと分かり、総出で大掃除したわ」。

 「そんな時、あの薬王寺の隣りに、電電公社の無線中継所ができるという話になった。作業員が50人も来るので、そこに水道が引かれることになったのよ」。
「そこで部落では絶好の機会だと、早速、水道利用組合を作って公社や市と交渉。協力金・補助金を出してもらって、羽黒神社まで水道を引いて配管をする計画を立てたの。なにしろ、莫大な費用が掛かる訳だから、みんなの負担金も大変なもんだったけれど、今までの水くみの苦労を考えると、本当にありがたい事業だったわね」。
そうして、御山部落の各戸に水道が引かれたのが昭和36年のことだといいます。加藤ヨシさんは、初めて水道の蛇口から水がほとばしった感激を、今でも鮮明に覚えているそうです。
だから、信夫山に住む人は、今でも水をとても大切にしていますね。