信夫山には、歴史を物語るように、現在も加藤家・小野家・菅野家ほか、六供(ろっく)直系の子孫が、誇り高くお住まいになっています。また七宮人(しちぐうじん)の曳地家・渡辺家ほかの子孫も多く暮らしています。
六供・七宮人は、護持する小宮ごとに院号と名前が残っていて、それぞれのお宮には特別のご利益があり、近年まで参拝者が熱心にお参りをしていたそうですよ。

・正八幡宮 = 八幡院   渡辺蔵人(くらんど)
・牛頭天王宮 = ??園院(??は、ころもへんに氏)  小野掃部(かもん)
・天王宮 = 山王院    菅野主計(しゅめ)
・三宝荒神 = 三宝院   加藤大学(だいがく)
・一ノ宮明神 = 一宮院  西坂内匠(ないし)
・天神宮 = 自在院    西坂隼人(はやと)

驚くのは、旧参道に面して加藤家の石碑がありますが、その表には「羽黒山六供社人 元山伏 加藤藤右エ門大学邸」とあり、裏に「第七十七代 加藤伝」と彫られています。一代30年としてもすごい歴史ですね。
さて、六供・七宮人の話は史実ですが、実は、皇太子と皇后さまが信夫山に逃げてきたという石姫伝説の方は、江戸中期の堀田公(板倉公の前)によって整備されたという説があり、正式な歴史では、あくまで伝説として扱われています。
でも、伝説だからこそ、信夫山は面白いのです。