みなさんは、幻の陶器といわれる「福嶋焼」の話を聞いたことがありますか?
真っ白な美しい肌合いの、絵付けの素晴らしい生活陶器でしたが、それはなんと、信夫山の白土山といわれる所から取れた白粘土を使って焼かれていました。
昔から、信夫郡の農家では、この白粘土を土蔵の白壁として使っていたそうですが、この白粘土が製陶に適していることが分かり、明治41年の民友新聞に分析記事が発表されました。

 焼き縮みがなくて、白色の薄手の皿物に適していたため、明治44年に福島町の加賀屋が今の橘高校の北側に、「福島製陶所」を作ってたくさんの陶器を売り出しました。
絵付師は、会津本郷の窯元から技術者を招いて本格的だったそうです。
驚くのは、この瀬戸加賀屋の金澤忠右衛門が、あの信夫山黒沼神社の絵馬額を描いた絵師、金澤椿山の弟だったのです。
おかげで福嶋焼きは評判も高く、県内あちこちに販売したそうです。しかし残念なことに、信夫山の白土は量が少なく、やがて掘り尽くしてしまい、工場は閉鎖することになりました。
今は幻の陶器となっていますが、先日やっと金澤家の子孫のお宅で、貴重な白い陶器に出会うことができました。いつまでも残ってほしかった福嶋焼ですね。