信夫山は、むかし優秀な金山だった、という話を聞いたことがある人は多いはずです。
実際にその通りで、鎌倉時代ごろから、福島で金鉱山として有名だったのが、信夫山金山、大森の城山、松川金山でした。
昔、奥州の金を都に運んで大もうけをした、金売り吉次という商人がいました。義経を平泉の藤原氏に逃がす手助けをしたと言われる人物で、当時の信夫山や城山の金を扱って稼いでいたそうです。

 信夫山を探索してみると、あちこちに昔の金鉱跡がありますし、その周辺には昔のたぬき堀りの穴の跡も、たくさん残されています。たぬき掘りは、人が一人やっと入れるほどの穴を、金脈をたどりタガネで掘り進んだものだそうです。
一般に、金鉱山は鉱石1トンあたり、7グラムの金が含まれていれば採算が取れると言われていますが、信夫山の金は1トンあたり14グラムの金が含まれていたといいますから、大変良質な金鉱だった訳です。
本格的な採掘がはじまったのは昭和8年で、当時の大日鉱業が大規模な採掘をはじめました。
昭和10年代には、信夫山北側・早坂地帯のいたる所に金鉱石を掘り出したズリ山があり、選鉱場やら飯場があって、鉱夫や家族でにぎわい、山神の祭りには芝居小屋も立つほどだったそうです。