優秀な金鉱山だった信夫山ですが、なにしろ小さな山でしたから、やがて掘り尽くされてしまいました。
しかし、金鉱だった証拠に、今でもいくつかの坑道入口跡を見ることができます。
昭和30年代までは、金竜鉱とよばれる坑道入り口が有名で、青少年の冒険の基地にもなっていましたが、25年と36年に子どもが2人、行動の竪穴に落ちる事故があって、その後、ふさがれてしまいました。さらに、探訪取材ロケ隊も1人落ちたそうですよ。

 面白いのは、その金竜鉱は信夫山を南から北に貫通していて、北口がぽっかり口を空けていることです。
信夫山の金鉱はいろいろな運命をたどり、終戦間際には西端にある金鉱跡を活用して、なんと、中島飛行機の戦闘機のエンジンを組み立てる地下工場(フ工場)がつくられることになり、大勢の挑戦人が強制労働に駆り出されました。当時、学生も動員されたので、工事に従事した記憶がある高齢者が、まだたくさんおられます。
そんな金鉱跡を、いつか活用できたらいいですね。